他人の期待に自己犠牲という無理をしてまで応える必要はない

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こんにちは。
諦めたくない夢を追いかける人を応援するメンタルトレーナーのトムやんです。

今回は他人の期待に自己犠牲という無理をしてまで応える必要はないというテーマでお話しします。

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他人からの期待はあなたには無関係

他人があなたにどんな期待をしてもあなたには関係がありませんので無理をしてまで他人の期待に応える必要はありません。

もし、自分を犠牲にしてまで他人の期待に応えようとしますと自分で自分を苦しめる結果になり、他人の期待に応えられない私は駄目な人間だという自己否定感を持ってしまいます。

貴重な自分の時間を犠牲にしてまで他人の期待に応える必要はありませんし、他人のことは他人にしか解決できません。

他人の機嫌をわざわざあなたが取る必要はありませんのであなたはあなたがやりたいことに没頭していくことです。

他人の機嫌はそもそも他人が取るものであってあなたが他人の機嫌を取る必要はありませんので、他人からの期待に応えなくていいのです。

他人から勝手にあなたに対してこうして欲しい、ああなって欲しいと期待されても他人の勝手な都合ですので嫌なら断っても問題ありません。

他人からの勝手な期待に応えようとすると「この方は私の都合の良いように動いてくれる」と思われて、さらに過度な期待をされてしまいます。

そして、他人からの過度な期待に応えようとすればするほどますます自分で自分のことを苦しめてしまいます。

ですので、もし苦しいと思いましたら「苦しいから無理。」といって期待に応えられないといって断っても問題ありません。

他人からの期待は実はあなたをコントロールしたいという欲があるので、無理をしてまで他人の期待に応える必要はありません。

この方は私を自分の思い通りにしたいんだなと思ったら無理をして期待に応えるように振る舞うことなく、「できない。」といって断りましょう。

他人からの期待はあなたにとっては無関係で他人の勝手な都合から来るものですので、無理をしてまで勝手な期待に応える必要はありません。

他人の期待に応えようとすると苦しくなる

他人の期待に応えようとすればするほど自分を苦しめることになり、気がついたら自分を見失いやすくなります。

例えば自分の価値観や思考を無理矢理押し殺して他人の価値観や思考に無理矢理合わせようとするだけでも苦しくなります。

自分の価値観や思考を駄目だと思い込むようになり、他人の価値観や思考を無理矢理受け入れて合わせようとします。

自分で自分の価値観を否定すれば否定するほど思い通りに振る舞えない自分に嫌気がさして自分が嫌いになっていきます。

自分が嫌いになっていることを感じてきましたら無理をしてまで他人の期待に応えていくことをやめていくことです。

他人の期待に応えられない自分を駄目出しすることなく期待に応えられないことに対して謝罪をしていく方が良好な関係でいられます。

もし、期待に応えられないことに対して強く反発してきましたらさらに距離を取ってこちらから離れていきましょう。

期待に応えられないあなたに対する反発はあなたをコントロールしたいという欲がある証拠ですので、無理をしてまで期待に応える必要はないのです。

他人の期待に対して無理やり自己犠牲をしてまで応えていくよりも自分らしさを出した方が気楽でいられます。

他人のことに気を向かせるよりも自分のことに気を向かせた方が無理なく自然体でいられるため、自分を信じられる自己肯定感を持てるようになります。

他人にとって都合のいい期待に無理をしてまで応えるよりも自分らしく振る舞える方が他人に依存することなく過ごせます。

自分らしく振る舞うためにも他人からの期待に無理をしてまで応えようとせずに断ってしまう方が自己犠牲をしなくていいのです。

自分らしさを出した方が気持ちが軽い

自分の考えや価値観を犠牲にしてまで他人の期待応えようとしても自分の人生を生きている実感を持てません。

かつての私も自己犠牲をして両親の期待に応えようとしていたため、期待に応えられない自分に対して嫌気がさしていました。

勉強でいい成績を取れなかったり、運動会でビリになると嫌そうな顔をしていたため、期待に応えられない自分が嫌いになっていました。

両親からやって欲しいと頼まれたことはたとえやりたくないことであっても嫌だとは言わずに引き受けていました。

嫌だと言えば父親は血相を変え、母親は泣き落としを使ってくるため、嫌々ながらも期待に応えようとしていました。

私自身が何より嫌々ながらの姿勢でなおかつ、主体的に取り組んでいないため当然のごとくうまくいくことはありませんでした。

嫌々やっているから主体性が持てなくてうまくいかないのではないかとふと思い、逆の両親から強制されてやることはやらないようにしました。

両親から強制されていないことをやっていると、どうすればより良い結果を出せるのかを意識することなく自然に考えるようになっていました。

また、取り組んでいる最中に疑問に思えば両親以外の方に聞けば馬鹿にされることなく教えていただけました。

その結果、両親の期待に応えない方が自分の気持ちが軽くなり、主体性を持ってのびのびとできるように思えました。

のびのびとできる実感を持てたことによって自分で選んだやりたいことには積極的に取り組むようになりました。

自分から主体的に取り組んだ経験から他人の期待に無理をしてまで応える必要はなく、自分のやりたいことに没頭していく方がやりがいがあることを経験しました。

まとめ

自分の考えや価値観を捨てて他人に合わせる自己犠牲をしてまで他人の期待に応えようとする必要はありません。

自己犠牲をしても「私は駄目な奴なんだという。」自己否定感を高めていくだけで、あなたには何のメリットもないのです。

他人からの期待は単なる他人の自己満足ですので、無理をしてまで他人の自己満足に付き合う必要はありません。

他人からの期待に応えようとする努力よりも自分で自分を喜ばせる努力をした方が時間を有意義に過ごせます。

他人を喜ばせられるのはあなたではなく他人ですので、あなたが自己犠牲をしてまで喜ばせる必要はありません。

他人からの期待に自己否定感をしてまで応えようとしないで、自分で自分を楽しませるようにしましょう。

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今回も最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。

良い記事だったので投げ銭する

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